カマキリの死

学童の子どもたちとドッヂボールをして遊んでいたらカマキリが出て来た


「カマキリだ!」と言うと、石を投げ始め、つぶして、殺してしまった


可哀想だからやめて、と何度も言って止めたのに、聞いてもらえなかった


初めて イラッとした


鉄棒のそばでぼんやりしていると
一人の女の子にこう言われた


「虫すき?」
「すきだよ」
「だったらつかまえて外に逃がしてあげれば良かったのに」


そうだった


カマキリを外に逃がしてやれなかったことをとても反省した

でも
それよりも自分の落ち度に気付かず、なんてヒドイ子たちなんだろう
と思ってしまっていた自分がとても恥ずかしかった


ことばで言っても聞いてもらえないのなら
私が手を出してカマキリをつかまえてフェンスの外に出してやれば良かったのだ


なんでそんな簡単なことに気がつけなかったんだろう
そんなことも気付かずになぜ責めてしまったんだろう



カマキリはまだ若かった


でも、これも「生きる」ということなのだろうか と思った


人に見つかったら、ことに子どもに見つかったら、
踏みにじられる 殺される
それもまた そういう偶然に出会ってしまったという「生」だったのだろうか


人も虫もいる世界では起こりうる そういうことだったのだろうか





自分が生きていくために他の生き物を殺すのは当たり前だ


でも、今回のは違う


あのカマキリは殺さなくてもよかった


自分が生きていくための目的意外に他の生き物を殺すのは人間だけではない


しかし、例えばライオンの子どもがウサギをおもちゃのように
生かすでもなく殺すでもなくいじって遊んで死なせてしまうのは
将来的に言えば狩りをして生きていくためだ


男の子たちがカマキリを殺すのは
将来的に必要なスキルじゃない


だから男の子たちが悪い とかそういうことがいいたいわけではないが
他の指導員さんが言った「彼らは虫を飼ったことがない」というのが気にかかった


「虫を育てたことがないから、虫を見つけても『虫だ』で終わっちゃうんだよね。
いのちなんだってことに気付けないんだよねー」


なんだろう
なんだかなんとも言い難い気持ちになった


いまさら男の子たちをまた死んだカマキリの前に連れて行って
これはいのちなんだ と言うつもりはない


でも、なんだろう


かれらはいつ あれがいのちだったということに
気付くのだろうか




道ばたで蝉が死んでいた
それにありがたかって食べていた

それがとても美しい、と思った