韓国

ある韓国人の男がいた


若い頃に友達に
「日本語専門学校に行くんだが、一人じゃとても行けないから
とにかく一緒についてきてくれ」
と頼まれ、とりあえず友達についていくと
日本語専門学校のロビーで「シャボン玉」と「赤とんぼ」の童謡が流れていた


男はそのどこか哀愁漂うメロディーに惹かれ、
そこの先生に歌の意味を尋ねた
すると、とっても短い歌だが、とても切なく寂しく美しい歌だと分かった
その時、男は「日本語を勉強しよう」と思った


その後、電力会社をリストラされた男は傷心して南アメリカを放浪
パスポートなどを盗まれてしまったが、スペイン語の話せなかった男は
誰に助けてもらえばいいか分からなかった
その時、日本人を探して拙い日本語を話してみると、
外国の地で現地の日本人たちが助けてくれた


そして、帰国して自分でもう一度韓国語を勉強し直して
いまは日本人相手に観光ガイドをしている


彼は60歳である


彼が、この夏わたしたち一家が韓国へ行った時にガイドをしてくれたウーさんである





わたしは、移動中のバスの中で突然ウーさんに
「まいさん、『シャボン玉』と『赤とんぼ』を歌ってください」
と頼まれた


恥ずかしかったので、本当はちゃんと歌えたのに
「こんなんだったっけ?」とか言いながら適当に誤摩化して歌った


歌い終わった後、ウーさんは自分が日本語を勉強し始めた経緯を話し始めた




『シャボン玉』と『赤とんぼ』は、ウーさんにとって特別な歌だった
ただの童謡ではなかった


「日本語の美しさ」に惹かれて勉強を始めたという、その美しい歌を
誤摩化して歌ってしまった




わたしは自分が恥ずかしかった
そして非常に感銘を受けた


人はいつでも挑戦できる
いつだってスタートし直せる
そんなありきたりな言葉は何度も聞いたことがあるし、
実際クサイ台詞だと思ってなんとなく好きじゃない


でも、実際にそのことを目の前でやってみせた人がいた
まったくおごった様子がない


わたしは「日本語を勉強した」ウーさんを尊敬したというより、
自分が一度職をなくして、歳もとっていて、養うべき家族もいる
そんなプライドも、歳のハンデも、リスクも、乗り越えて
「外国語」という新しいスタートを切り直したウーさんを心から尊敬した




帰国後、韓国語を勉強している
少しずつだが、勉強しようと思うようになった


別に韓国人相手の観光ガイドになるつもりではない、
しかし、
私にスタートを切るきっかけをくれたウーさんの恩に少しでも報いれるように、
韓国語を勉強しようと思った


今年の夏、韓国へ行って出会ったのはウーさんだった
何を見たかも、どこへ行ったかも既にあまり覚えていない


わたしにとって、旅は「どこへ行ったか」ではない
「誰と出会ったか」なのだ



今回わたしは、その人生に尊敬を覚える人物に出会った
ウーさんに、韓国に、カムサハムニダ