日々を泳ぐ
近ごろは朝晩も冷えて、夜に鳴く虫の声も変わってきました。
5時も過ぎれば日も暮れて、電気をつけなくては手元が薄暗い季節です。
とはいえこの窓から見える夜空はいつでもうすら赤く、
眠らない街・東京は、その名の通り今晩も輝き続けるのです。
めまぐるしく日々変化し続ける東京の暮らしの中で、
友人たちの近況をつかまえようとFacebookやTwitterを追いかけてきましたが、
追いかければ追いかけるほど、実態は遠くなっていく気がしています。
情報過多の現状に、むしろ人々は傷つきやすく、
またそのために余計に情報に頼るようになっています。
人といるのに、なぜ画面をのぞき込む必要があるのでしょうか。
そうまでして追いかけたいものは、一体なんなのでしょうか。
そんな悩ましいことばかりの日常に、私の小さい頭はいとも簡単に支配され、
うすら赤い東京の夜が更けるほどその陰鬱な気持ちも深くなるのです。
あれだけ憧れた東京に出てみたまではいいけれど、
出たがために憧れた東京が果たしてなんだったのか。
分からなくなった金曜の夜に飛び込んだ近所のバーで、
ビールとカクテルの3時間。
外は相変わらず亜熱帯のようなスコールが降り、
信号の青と車のライトのオレンジがゆらゆらと幻想的に揺れて、
その情景とマスターの深い声がアルコールの中でゆったりと泳ぐのです。
ひんやりと湿った夜の道をのたのたと帰り、家に着けば泥のように眠り込む。
朝になれば目が覚めて、また同じような日々を過ごす。
水のやりすぎは、逆に植物を腐らせます。
このしとしと降る雨の中で、わたしも静かに、朽ちてゆくのです。