あたらしい夏

2年半前の父の入院当時、

お見舞いの品として持って行った沢木耕太郎の『無名』は

結局読まれないまま実家の本棚に収まっていたが

今回、父の検査に付き合い

病棟で父を待つ間はじめてその本を開いてみた。



それは奇しくも、沢木の父が病気で亡くなった際の話だった。



父のいのちに別状は無いとは分かっていても、

このまま回復すると言われ続けて

見つかってしまった今回の再発だったため

沢木の父親の病気、そして死の話は

わたしにとってあまりにリアルだった。



わたしはこれまで近親の死に目に立ち会えたことがない。

いつもその訃報を聞いてあわてて電車に飛び乗って帰ってくるばかりだ。

今回はそんなところまでいかないと

信じてはいるけれども

その時はこの先間違いなくやってくる。

その前に父の話をきちんと聞いておきたい。

そんな思いもあって、父の検査にひとり付き合った。



そこは大学の付属病院だったため、

となりの校舎にはおおきな学生食堂がついていた。

わたしたちはそこで昼食をとった。

午前の講義を終えた学生たちが、どっと食堂へ流れ込んでくる。

それを眺めて「大学生か、すでに懐かしいな」とつぶやいた私に

父は「やり直すなら、高校生からがいいな」と応えた。



わたしは、少し間を置いて聞いてみた。

「高校生からやり直したとしても、やっぱり今と同じ道を選んでたと思う?」



父は少し考えていたが、

「たぶん、同じことをしていたと思う」

と言った。




「会社に勤めてモノを売ったりしている姿は想像できないし、

やっぱりモノをつくったり、人に何かを教えたりすることを選んでたかな」



午後の診察までの待ち時間は3時間ほどあり、

わたしたちは近くの商店街をぶらぶらと歩いたり

駅近くの喫茶店でコーヒーをすすったりして時間をつぶした。

これほどゆっくりと父と過ごすのはいつぶりだろう。

父はあたりを眺めながら、東京に住んでいた頃を懐かしがっていた。



『無名』を読みながら、いろいろと込み上げてくるものがあった。

今年、七回忌を迎える祖父のことを思い出した。

近ごろ何かと弱気な祖母のことも引っかかっていた。

遺伝を気にしている父のことも、気がかりだった。

あらためて自分の家族のことを考えてみた。

家族に対して、思いを馳せてみた。

おそらく初めて、孝行したいと思った。



ことしの夏も、どうやら長くなるらしい。

わたしにとって、これまでと違った夏がやってくるのだろう。