北からの電話

それは4年前のこと、

友人と岩手旅行へ出かけた。

その時に泊まったのが北上で、名物は里芋を使った北上コロッケだった。

わたしも友人も食べ物には目がないので、もちろん北上コロッケを食べることになった。

そして、たまたま入ったのが大安楼だった。



翌日のプランも決まっていなかったので、

女将さんに岩手の名所を聞くといろいろと教えてくれ、

終いにはご主人まで厨房から出てきて一緒に翌日のプランを考えてくれた。

しかし、まだ教え足りないと思ったのか、

お店が終わったら迎えにいくから宿で待っているようにと言われた。

わたしたちは宿の場所を伝え、とりあえず大安楼を後にした。



ご主人は本当にわたしたちを迎えにやってきた。

案内されるままご主人についていき、

行きつけのお店でご主人のオススメの料理をたんまりとご馳走になった。

すでにコロッケを食べていたこともあり、何を食べたのかあまり覚えていないけれども

ご主人が勧めてくれた、お皿いっぱいの生ガキが

目玉が飛び出るくらい美味しかったのだけは覚えている。

そのあと、女将さんも合流し

今度は場末のパブに連れて行ってもらった。

わたしも友人もパブに入るのは初めてで、

大人の香りのする仄暗いネオンに、なにかドキドキしたりした。

ママのいるお店で、チープなつまみを齧りながら4人でカラオケを歌った。

歳もだいぶ離れているので、互いの歌う曲が分からなかったりしたけれど、

友人の歌った「いつでも夢を」だけは、みんなで歌った。



翌日、花巻・遠野・盛岡とかなりの強行スケジュールで名所らしい名所は廻ったけれど、

正直、前夜の北上での思いがけない出会いを前には

宮沢賢治柳田国男もまるで歯が立たないのであった。


そんな素敵な思い出をお土産に、わたしたちは東京へ帰ってきた。

なにかお礼のお菓子でも送りたいと思ったけれど、

あんなに美味しいものをつくる人に送ることのできるものなんてないことに気づき、

代わりに北上の思い出を絵ハガキにして送った。



その2年後、震災があった。

岩手の惨状を知って、まず大安楼のことが気にかかった。

ハガキを送ろうと思ったが、住所を書いた紙をなくしてしまっていた。

電話をかけようと思ったが、線が繋がっていないのでは?避難しているのでは?

と、いろいろな考えが駆け巡り、そのまま慌ただしい日々に飲み込まれるように

大安楼のことも薄れていってしまった。



また2年の年月が過ぎた。

携帯が鳴り、ふと見ると妹からのメールだった。

岩手に旅行に行くという。

ふわっと、またわたしの中に大安楼のことが蘇ってきた。

北上に寄るか聞くと、寄れたら寄りたいという。

わたしは大安楼のご主人と女将さん宛の手紙を書き、

もし寄ることがあったらお店に持って行ってほしいと妹に渡した。



そして今日。

仕事が終わって携帯を見ると知らない番号から電話が着ていた。

留守電も入っている。

誰だろうかと留守電を聞くと、驚いたことに、大安楼からだった。

すぐに電話をかけ直した。出たのはご主人だった。



ご主人と女将さんの元気な声が受話器からこぼれる。

その人柄が、電波に乗ってこちらに伝わってくる。

詳しい話は聞かずとも、妹も暖かい歓迎を受けたことが容易に想像できた。



4年も前の一夜限りの出会いが、

いま、こうして再びこころを暖かくする。



旅は、場所ではない。

旅は、人である。