ゆとりの結び

「最近のコは、仕事が辛いとすぐ辞める」
「20代のうちに、仕事をコロコロ変えると30代になってから後悔するよ」

これは、前の会社の上司に言われた言葉。

半分は合っているけれど、半分は間違っている。




今年の秋、昨年五月に入った会社を一年ちょっとで退職し、転職した。




いまの仕事は前職に比べて就業時間も比にならないくらい多いけれど

それでもこの三ヶ月、一度も明日が憂鬱になることはなかった。



それまで、毎日毎日誰もいない暗い部屋に帰ってきては

洋服の袖をぐしょぐしょに濡らし、

時には自転車を漕ぎながら、

人目も憚らず涙していた日々とは打って変わり、

目の下のくまがとれなくても心持ちだけは晴れやかなのだ。



初めて「仕事を楽しいと思って何が悪い」と思った。



その先に目的があって、そのために今を辛抱するならば、それは必要なことだ。

しかし、辛抱すること自体が目的になってしまうのならば、やめた方がいい。



人には、するべき苦労としなくていい苦労がある。



わたしはこれまで、これといった苦労もなく過ごしてきたために、

初めて出会った苦労に、これぞ苦労なのだと思った。

初めての苦労の日々に、苦労をしているいまこの時こそ美徳なのだと思った。



しかし、

苦労をしているから素晴らしいなんてものは嘘だ。



苦労をするその先に、希望を見るからこそ美徳なのだ。

何の目標も目的もなしに苦労に甘んじているのは、ただの馬鹿である。

それは、結局楽しているのと同じなのだ。



先日、いまの職場の先輩に「将来の夢は何?」と聞かれた。

当たり前のように、そう聞いてくれたことが嬉しかった。



仕事をしている。

それは、決してゴールではない。



仕事をしてるという基盤に立った上で、

その先に何を見るのか。



何を夢とするのか。



わたしは辛い仕事を辞めた最近のコかもしれない。

辛いから辞めたのは事実だけれども、辛いだけで辞めたわけではない。

次に掴んだこの仕事に、ぶらさがってでも喰らいついてやる。コロコロなんて変わるもんか。

「だから言わんこっちゃない」なんて死んでも言わせない。

そのくらいの覚悟はもって辞めた。



ゆとり世代だの、さとり世代だの、馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

あのタイミングで退職したことに、いま一点の後悔もない。



これから仕事で苦労したとしても、いまはその先があるからきっと大丈夫。



何不自由なく育ったゆとり世代でも、そのくらいの気概はある。

そんなことを、この先日々の仕事の中で体現して見返してやりたい。



「仕事を楽しいと思って何が悪い」



そう思えたことが、平成生まれ・ゆとり育ちのわたしにとって、

今年一番の収穫であり、本年の結びにふさわしい結論だった。