本物にするために

自分にとって向いていることって何だろう。
本当は何がしたいのだろう。



今の仕事もあとひと月となって、周りは次の仕事の話をし始めた。

わたしはまだ何も決まっていない。

自分から営業をかける人脈はなく、直接声をかけてもらえるほどのキャリアもない。

まさに宙ぶらりんの状態。



「今後、どういう方向に行きたいかによって営業のかけ方も変わるんだけど、何がしたい?」



そう聞かれて、言葉に詰まってしまう。

どういう身の振り方をすれば、最終的に到達したい場所に行けるのだろう。



これをやって下さいと言われたら、うまくやれる自信があるけれど、

何がしたい?その方向に道筋を立ててあげますと言われても、

次に自分が何をしたいのかまだよく分かっていない。



最近、よく『それでも恋するバルセロナ』のセリフを思い出す。

「望むものは分からない。でも望まないものは分かっている」

まさにそんな状態なのだ。



昔から、与えられた制約の中で自由に泳ぎ回るのが得意だった。

制約のないところでは途端にどうしていいか分からなくなってしまう。



決められたルールの中でベストをたたき出してゆく。

それが強みであり、最大の弱点だった。



「あの子は自分の仕事を愛している」

同じ班の監督が、お酒の席でわたしについてこう話したらしい。

はじめ、それを聞いた時は「ありがたいな」とくらいにしか思っていなかった。



ずいぶん昔、印刷所へふらりと遊びに行ったとき、

工房のおじさんが自分の仕事の話を嬉々として2時間もしてくれたことを思い出す。

こういう風になりたいと思った。

そういう仕事人になりたいと思っていた。



いま、この仕事が自分にとって唯一無二のものなのかは、分からない。

向いているのかどうかも本当は分からない。

でも、好きだと思える。



だったら、きっとそうなんだ。

向いていようが、実は向いてなかろうが、自分にはこれなんだと思い込むこと。

思い違いすること。

R25の高橋秀美の言葉がじんわりと効いてくる。



「あの子は自分の仕事を愛している」



いまはこの言葉に縋ってみよう。

いま、目の前にあるものを思い違いすることによって本物にしてゆくのだ。



いろんな人のいろんな言葉が点となってわたしの心に落ちる。

ある日、点と点が繋がってうっすらと線になる。

線になったものがまた繋がって、ようやく輪郭が見えてくる。



もう一度、いまの仕事をしたい。やっとそこに立つことができた。

次の線は何だろう。

焦らず、でも決して目をそらさず、じっと見つめてみよう。