来るべき時

来るべき時というものを最近強く感じている。

東京に越してきてから2年が過ぎた。

引っ越してきた当時、「行きつけの店」を持ってみたいと思っていたが、

なかなか薄暗いバーに1人で入る勇気もなく、

また自分で飲みに出かけてゆくお金もなかった。

そうして1年が過ぎ、「いつもの」店はできることがなかった。

その間、のれんをくぐった店もないことはなかったが、

もう一度足を運ぼうという気にもならなかった。



それが最近、「行くとしたらここ」という店が何軒かあることに気付いた。

「いつもの」というほど頻繁に通っているわけではないが、

でも一歩店を入れば、店の人にも「ああ」という顔で出迎えられる店である。

それは友人に連れて行ってもらった店であったり、

職場の先輩に連れて行ってもらった店であったり、

自分が好きで行くようになった店であったり。

経緯は別々だけれども、ふと「今晩あたり行こうかな」と思える店である。



ふとした時に、「あれ、そういう店できてるじゃない」と気づいた。



その時に、タイミングというものを思った。

望んでいてもできない時は、まだその時ではないのだな、

なった時がなるべき時なのだな、と思った。



わたしは、思い立ったが吉日という言葉を信じている。

それはタイミングというものを意識し始めた今も変わっていない。

思い立った時こそ、行動は始めるべき。

ただ、それが成就するかどうかは別の問題。

それが結実する時こそが、来るべくしてきた時なのだ。

それは行きつけの店がどうのこうのなどという小さなことだけではなく、

仕事にも、恋愛にも、はたまたもっと大きな人生の岐路でも言えることだと思う。



ただ、待っていれば時は来るのだからそれまで無為に過ごしていていいか、

というとそれも違うと思っている。

願い続けていれば夢は叶うということを、本当だとはよもや思わないが

かといって嘘だとも思っていない。

願っておけば、運が良ければそのうち叶うかもしれない。

とりあえず、願っておくことが大事である。



だから最近、のれんをくぐっておいてよかったな、

なんてどうでもいい呑気なことを思いながらビールを、レモンサワーを、焼酎を傾ける。

ようやく次の仕事が決まったから気分がよくって、

そんな好都合なことを思うのかもしれないけれど、

でも、来るべき時というものはたしかにある。

そう確信して、明日も働いていられることを幸せに思う。