再出発

今日、ひとつの仕事が終わった。
去年の10月1日、ドキドキしながら憧れの場所に足を踏み入れたことを思い出す。
それから一年が経ち、週明けには新しい班での仕事が始まる。
そんな節目の時を迎え、再出発を前にして、初心を思い出してみる。

これは一年半前、まだ前の職場で働いていた頃のこと。
今回の仕事の話が持ち上がって、初めて話を聞きにいった数日後、
「あなたがどういう人なのか教えてほしいから、自分のプロフィールを文章で書いてきて」
と言われ、書いた。

文章を送って数日後、「麻衣さんの半生を見た気がする」と言われた。
褒められたのかどうか分からなかったけれど、いま自分で読み返してみて、
確かにこれはわたしの半生記だと思った。

わたしは、ひとつひとつ自分で納得しないと進むことができない。
なぜ自分はそれを選ぶのか。
なぜこうしなくてはならないのか。
ひとつひとつを手に取り、確かめ、飲み込み、また置く。
それをしないことには、一歩だって進めない。それが、わたしなのだと思う。

ここに書かれているのは、わたしが大学に入ってから今の仕事を選ぶまでの半生記であり、
ここから再出発する自分のための、贈る言葉である。


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映画との出会い
 大学では芸術学を主に学んでいましたが、映像の授業を取得したことがきっかけで、映像に興味を持ち始めました。特に映画をよく見るようになり、みるみるうちに惹かれていきました。自分の人生を振り返ることも、見つめることも、生き直すことも、そのすべてがこの映画というメディアには詰め込まれていると感じた私は、この圧倒的なエネルギーが生まれる現場に行きたいと渇望しました。しかし、大学の授業では、映画の歴史や変遷を知ることはできても、まさに人がカメラの前で息づいていく様子や、そこから生まれる熱量を感じることは出来ないと思い、なんとかその近くに辿り着く方法はないかと考えました。そして、「映画芸術」にボランティア募集の文字を見つけた時、その場で受話器を取りました。

映画芸術
 映画芸術では、主にテープ起こし、またゲラ刷りの校正を行っていました。時には、インタビュー取材の同行や、その撮影を手伝うこともありましたが、基本的にはテープ起こしが私の仕事でした。これは何よりの勉強材料で、まずテープ起こしはその題材についてある程度の知識がないと文字に起こすことが出来ません。役者の名前なのか、登場人物の名前なのか。本の題名なのか、映画の題名なのか。表記もまた然りです。音声を文字にする時に、いちいち調べることによって、自分の中に知識として落とし込んでいく。始めはとても時間のかかっていたテープ起こしも、徐々に慣れてくると一定の時間で出来るようになりました。現場への道はまだまだ見えていませんでしたが、時折取材で会う作り手たちの話を聞いては、映画に対する情熱にこちらも胸を熱くし、いつかはこの人たちと、と心躍らせていました。

翳り
 しかし、いくら事ある毎に「現場に行きたい、現場に行きたい」と言っていても一向にその糸口が見えてきません。そうこうするうちに大学4年になり、やや焦りも出ていました。親に「映画は社会に対してどう役立っているのか」と詰問されると、それを論破できるだけの言葉も持ち合わせない。その事にもだんだん自信をなくしていました。もしかしたら、映画が好きで好きで大好きな魚屋でいることも、ひとつの映画への貢献のかたちかもしれないと思った私は、「他の仕事」という選択肢も考え始めました。

映像教育
 その頃、ゼミでは義務教育課程における映像教育について専攻していました。近隣の小中学校に赴いては、美術の授業時間の中で映像を使った授業を行いドキュメンタリーとしてまとめるというかたちでした。これまで美術に恩恵を受けてきた者として、その良さや魅力を伝えるためには身を以て体感してもらうことが一番だと、授業では子どもたちが自分から行動することを促してきました。子どもたちの目の色が変わることで、先生の目の色も変わる。そのことが少しずつ実感として上へ上へ伝わって、美術の授業時間が減っている現状を変えることが出来ればと思っていました。わたしは、自分が感じた感動を次の人にも繋げていくことの喜びを感じていました。

就職
 自分がいいと思ったものを、いいものとして次の人にも伝えていくことを仕事にしたいと思った私は、広告PRの仕事に就きました。いまの会社は、クリエイティブプロモーションやクリエイティブキャスティングが主な業務内容です。日々の仕事では、代理店との連絡やゲストのアテンドなどを行っています。これまでこれといった苦労をしたこともなかった私は、学生と社会人の違いに戸惑いもし、また相当に落ち込んでいました。親元を離れて憧れの東京に出てきたものの、毎晩残業続きで体も心も疲れきっていました。会社は社長を含め5人しかいないため、一人ひとりが重要な戦力です。そのこともあって、会社ではとてもよく面倒を見てくれるし、様々なことを1年目からやらせて頂きました。しかし、まだ映画のことも諦めきれなかった私は、友人たちとグループを組み上映会の企画をしていました。

身の丈
 これまで学生の頃も、様々な活動を並行して行っていたため、今回もきっと出来ると確信していました。その点で、学生気分が抜けていなかったのでしょう、まさに公私混同でした。仕事中に、上映会の書類申請先から電話がかかってきたり、またこちらからも書類を送らなければならなかったりと、仕事にも支障を来していました。もちろん、そのことが会社にばれないはずもなく、そのことは会社内で問題になりました。当初の私は、自分の作業が滞ることによって起こる上映会の仲間への迷惑だけを思い、悲しんでいましたが、徐々に自分がしてしまったことのことの重大さに気付き、いたく反省しました。まだ一人前の仕事もできず、お金をいただいて勉強させてもらっている身で、なんと身勝手なことをしたのかと、自分を恥じました。その後、きちんと謝罪したことで理解され、この時初めて私は社会人としての自覚えを持ち始め、また身の丈を知ることの大切さを痛感したのでした。

自分を活かすこと
 挑戦させてくれて、面倒も見てくれる、これほど有り難いことはないと思う反面、いまの仕事は十年続けるないようなものではないし、また自分の長所も活かされないという思いを、この1年間ずっと抱えてきました。いいものを後ろへ繋げたいという思いは、今も変わっていませんが、いまの会社がお客にしている人たちは、私がお伝えしなくても自分の力で文化も生活も発見していける力を持った人たちです。その方達に対して、私がお伝えできることは、正直ないのです。私は、まだ自分では文化も生活も見出せない、またはもうすでに自分の生活の中に文化やアートといった潤いがあることに気付いていない人たちにこそ、その魅力を伝えたい。その思いは、日増しに強くなってくるばかりです。今のまま、仕事を続けていれば人並みに一人前にはなれると思います。でも、それは自分を生かすことにも、活かすことにも繋がりません。だとしたら、早めに新しい活かし方を見つけたい。社会に出て、最初に入ったのがいまの会社であったことが私にとっての最大の幸福です。そのことも、いまの会社への恩義も忘れずに、次のステップに踏み出したい、そう思っている今日この頃です。

2013.06.24