霧の中の街 ーその3
現代版小田実なる青年曰く、渡り歩いて一番素晴らしかったのはベトナムらしい。
その次に良かったのが、フィリピンで、とにかく物価が安いのだとか。
たしかに、彼の歩いてきた国々に比べると、香港は決して安上がりな国ではない。
物価で言えば、日本とほぼ同じだろう。
コンビニで売っているものも、スーパーで売っているものも、日本の値段と変わらない。
彼はお金がなくなると、現地の人に混じり客引きをしてお金を稼いでいたようで、
英語は問題なく使えるし、聞き取るだけならばかなりの国の言語が分かるそうだ。
それだけ言葉を操れるようになると、旅をしていてもさぞ楽しいことだろう。とても羨ましい。
将来は何になりたいのかと聞いたが、自分でもまだ分からないそうだ。
真っ当な道に進むならシステムエンジニア、そうじゃないなら観光ガイドかな、と彼は言った。
ただ、日本で働けないような気がします。息が詰まりそうになるんです。
大学の学費も自分で払っていると言う彼には、日本はもう、狭すぎるのかもしれない。
ラッキーハウスに帰ると、2段ベッドの下でおじさんが荷解きをしていた。
そういえばさっき青年が、旅慣れた日本人のおじさんがひとり来ていると言っていたっけ。
あたかも、旧知の仲のような口調で話しかけてきたおじさんとしばらく話していると、
ソフトクリームを食べに行っていた青年も戻ってきて、また旅の話が始まる。
二人は、私など到底思いもよらないような体験を山ほどしていた。
話が収束するかと思うと、次の話題に移り、聞いているだけの私はだんだんと眠くなってきた。
しかし、ベッドで話しているものだから抜けるにも抜けられず眠気と戦っていると、
おじいちゃんがあまり遅くまで起きているもんじゃないと一喝しにやってきて、
1時近くまで続いた旅談議は、ようやく終わったのだった。
翌朝は、8時に起きた。
シャワーを浴び終えて宿を出るとき、青年の名前もおじさんの名前も知らなかったことに気付く。
まあ、それもいいだろう。そういう出会いと別れも、旅にはつきものだ。
朝食は、昨日市場で房ごと買ったバナナを食べて済ませた。
マカオ行きのフェリー乗り場へは、道に迷いながらもなんとか乗り込み、
思った以上の揺れで気持ち悪くなり座席で丸くなっているうちに、すぅっと眠ってしまった。
マカオのバスはなんともややこしかったが、周回しているのでそのまま乗っていれば元の場所へと戻ってくることができる。
目当てのバス停の名前が出てこないので、寝ぼけ眼でぼんやりしていたら、終に元の場所まで戻ってきてしまった。
マカオはタイパなど離島をのぞけば、一日で十分まわれる大きさで、
老舗の点心の食堂以外は行くと決めていた場所も特になかったので、いつも通り徒歩中心でぶらぶらとした。
マカオの学生は眼鏡をかけている子が多かった。しかも、みんな同じ眼鏡だ。
髪型も、女の子は一様にポニーテール。ショートヘアの女の子は、なぜか少ない。
女の子も男の子も、友達とおしゃべりをしてはしゃぎながら下校する様子がとっても楽しそうで、
思わず横断歩道越しにカメラのシャッターを切っていた。
マカオの地図を眺めていて、ふと、ちょっと先には中国本土が広がっていることに気付く。
そうだ、国境を見に行ってみよう。
しかし歩いても歩いても、なかなか目的の場所に出ない。
手元の地図は香港がメインで、マカオはざっとした地図しかなかったので、
標識でどの通りにいるのかは分かっても、地図上でいまどこにいるのかが全く分からなかった。
道ゆく人に、ここはこの地図でいうとどこかと尋ねたのだが、どういうわけか要領を得ない。
そろそろ歩くのにも疲れてきた頃、行く手に交番を見つけ、ようやく国境際までの道を聞くことができた。
対岸には大きなビルが建ち並んでいた。
曇りだったからか、向こう岸の大国は近いはずなのにぼんやり霞んでいる。
霞の中に見える中国は、やはりどこかスケールの大きさを感じさせた。
前日の街歩きと、朝の迷子、そして国境探しとかなりの距離を歩いていたので、
自他ともに認める健脚の私も、この頃には脚を引きずるほどになっていた。
マカオに来たらカジノに行こうと思っていたのだが、とてもそんな元気はない。
脚を撫でさすりしながらお土産に中国茶葉の店、
世界遺産の聖ポーロ大聖堂跡と大砲台を見て回ると、もう帰ろうという気分になっていた。
昼料金の最終便である17時半のフェリーに乗るべく帰路を急ぐ。
しかし、この帰りのフェリー乗り場で、危うくカモになりかけるという事件は起きた。