休日の過ごし方

近年、自分のからだについて思うところがいくつかあり、

その原因がほとんど歯並びにあることが判明したので、

自分でお金も払えるようになったことだし、そういうお金の使い方も悪くないと思い、

近所の矯正歯科に通い始めた。

思いのほか大掛かりな治療になるようで、上下4本の歯を抜くことになった。

そして昨日、初めて1本目の抜歯をした。



歯医者に行くなど、社会人になるまでなかったので、

いまでも毎回緊張しながら歯医者の椅子に座る。

昨日は抜歯という大々的な治療だったため、緊張も並ではなかった。

治療のためとはいえ、健康な歯を抜いてしまったという気持ちがあって、

抜歯後、職場に行ってからも落ち着かず、

結局、夕方に仕事を切り上げ帰ってくるなり寝込んでしまった。



特別、歯が痛んだわけでもないし、出血がひどかったわけでもない。

ただ、健康な歯を抜いたということがどうしても気になって、

本当にあと3本も抜かなくてはいけないんだろうか…と、なぜだか落ち込んでしまった。

晩には起きてごはんをつくるつもりでいたのに、気づいたら翌朝まで寝ていた。

途中、何度か携帯の着信音で起きたものの、

夢うつつだったので、夜中の3時に歯磨きのために起きたこと以外あまり記憶にない。



今日は、もともと半休をもらうことになっていた。

午前中にどうしても立ち会う必要のある行事があったので、

朝ご飯を食べて、掃除を済ませてから、かなり時間に余裕をもって家を出たけれど、

目的地に着いた途端、先方の都合で行事がふいとなくなってしまった。

今日は、半休ではなくただの休みになった。



そのままどこかへでかけてもよかったのだけれど、

仕事用のかばんで来ているし、一度リセットしたかったので寄り道せずにまっすぐ帰宅した。

家に着いた頃、時計はまだ11時を指していた。



台所の棚から白花豆を出し、鍋に入れる。

今日みたいに時間を使ってのんびりできる日のために、ずいぶん前に買ったものだ。

豆を水で戻すのに、4〜5時間はかかる。

友人から借りた本を読み進めて、お腹がすくのを待っていたが、

映画が千円で観れる日だったことを思い出して、身支度を始める。



駅まで行きしな、八幡さまへ切れてしまった革のブレスレットを持って行った。

職場の人に、自然と切れたブレスレットは八幡さまに持って行くといいと言われたので、

お守りを奉納する場所へ願掛けしながら括りつけた。

お願いごとは、できれば叶うと嬉しい。



冬物の上着をクリーニングに出そうと店をのぞいたが、あいにく店は昼休み中で、

玄関には「お昼休憩です」と書かれた札が立っている。

どこもかしこも24時間営業が広がる中で、しっかりお昼休みをとってしまうこの店に好感が持てた。

昼休みが明けるのを、向かいに新しくできたクレープ屋に入って待つ。

いかにもイマドキのオシャレな街の住人になった様な気がして、ちょっと楽しい。

違いも分からないのに、少し気取って「豆乳の生地にして下さい」と言ってみる。

実に楽しい。



映画の上映時間にはずいぶんと時間があったので、行きつけの珈琲屋に立ち寄って、

アイスコーヒーを片手に、気になっている舞台の情報などを調べていたが、

観に行くつもりの映画を昼の回で見てしまうと、夕方の宅配便に間に合わないようだ。

つぎ、いつ宅配便を迎えられるか分からないので、

映画を観るのは夜に回すことにして、ぶらぶらしようと店を出た。



古本屋で本を買い、古着屋を冷やかし、スーパーで食材を買って、

今日入ったばかりの給料を私用の口座に移し替える。



家に帰ると、白花豆はいい具合にふやけていた。

強火にかけて、灰汁を取る。塩を少しふって、煮立ったら中火に落とす。

ときどき、豆にかぶるくらいに水を足しながら、合間に本を読む。

ずいぶん昔に、お世話になった方から頂いた本で、

厚さ1㌢にも満たないその本にはその方の直筆で、

「自分の世界をもっと広げて下さい」と、わたし宛のメッセージが書かれていた。



読んでは鍋に水を足し、水を足しては本を読む。

白花豆が甘く煮えた頃には、太陽は住宅の向こうへと沈みかけていた。





今日のような、どこへも出かけない自分ひとりで過ごす休日は、とても気楽だ。

しかし最近、それでいいのだろうかと思う。

そうやって楽していていいのだろうか。

少ない休日くらい、自分の好きに、気ままにしていたっていいじゃないかと思う反面、

いつまでも自分を甘やかしていいのだろうかと、ふと考えてしまう。

仕事柄、定期的に休日があるわけでもなく、ふいに休みになるし、

その日の行動もすべてが思いつきの私にとって、人と約束を取り付けるのはとても難しい。

いきなり誘われても友達はお休みでないかもしれないし、

そうでなくても迷惑かもしれないなど考えだすと、なかなか人も誘いづらい。



でもそう考えること自体が、自分への言い訳だ。

そうやって言い訳して、結局は楽をしているのだ。

ひとりでいることが苦にならないし、大抵のことは自分でできてしまう。



しかしそれは、自分にとって楽な生き方をしているに過ぎない。

結局、今日という一日を、私は楽する方に過ごしてしまった。




頂いたメッセージのように、自分の世界をもっと広げなくては。

自分から、世界に歩み寄っていかなくては。

来週、つぎの1本を抜きに歯医者へ行く。

また妙な考えにとらわれてしまうのではないだろうか。

けれど、歯を抜くたびに仕事を早上がりしていたんじゃ情けないし、

ひとりでいるとどうも塞ぎがちになるので、来週末は人と会うことにしよう。