二万二千西域記 ーその1

目を覚ますと、眼下はあたり一面まっ白い雲の海だった。

白い海に潜るたび、大きな機体が上下左右に大きく揺れる。

見たこともないほど大きな入道雲がそびえていて、

潜っても潜っても、雲の海は下へ下へと続いていた。

そして何層目かの白い海を潜り終えたとき、深い緑の山々が見えてきた。

細い道が尾根を蛇行する。中国だ。



深夜特急』に倣うのであれば、香港の次はタイ・バンコクだった。

しかし、バンコクのチケットが高かったため、どうせなら沢木が飛行機でとばした

香港ーバンコク間も渡り歩いて行ってやろうと思ったのだ。

となると広州になるのだが、たまたま見つけた西安のチケットが非常によいものであったので、

一も二もなく西安行きのチケットに変えた。

始発で行っても飛行機には間に合わなかったため、

前夜から空港のロビーでバッグを抱え込みながら微睡んでフライトを待った。

そのため、席についた安心感から飛行機ではすぐに寝てしまい、

韓国・インチョンで飛行機を乗り換えた時のほかは、ずっと眠っていた。



西安はご存知の通り、かつて長安と呼ばれ多くの王朝の首都だった街である。

空港からは西安市のほかに、兵馬俑のある咸陽市行きのバスも出ていて、

大方の人はこのどちらかに乗るようであった。

これまたうとうとしている間にエアポートバスは西安市内へと到着し、

今晩の宿を探しに「南門」をめざして歩き出したのだが、

初めて歩く街は、現在地から目的地までの距離感がまったく掴めない。

バスに乗りたくても公共バスがいくらなのかバス停には書いていないし、

中国語は多少読めても話す方は滅法駄目なので人に聞くこともできない。

分かっているのは、歩きつづければいつかは辿り着くということだけだ。



西安国際青年旅舎についた頃には、すでに夕方になっていた。

フロントで今晩泊まりたいと伝えるとすでに満室だという。

困った顔をしている間に、フロントのお姉さんがどこかへ電話を一本かけてくれ、

とにかくキャンセルが出て泊まれるというので、とりあえず二晩お世話になることにした。

青天井の吹き抜けを真ん中に、回廊となっている建物が三棟つづいている。

行き先は一番奥、第三棟の二階、廊下の突き当たり、八人部屋。

部屋では中国人の女の子二人とフランス人のおじいさんが、

パソコンの写真を見ながら談笑しているところだった。

部屋に入るなり女の子から中国語で話しかけられ、

話し振りではこちらも中国人だと思い込んでいるようだったので、

日本人であること、中国語は話せないことを伝えると今度は英語で自己紹介をはじめた。

チンと名乗る彼女は流暢な英語を話す黒髪のきれいな女の子で、

その隣で話しかけはしないものの興味津々で私を見つめるもうひとりの女の子は、

英語があまり得意でないらしく、はにかんだ顔で一言だけブリーと名乗った。

チンが明日の予定は何だと聞くので、まだ何も決めていないと話すと、

わたしたちはホァシャンに行くけど一緒に行かないかという。

どこだか分からなかったがとにかく面白そうだと思って誘いに乗ったが、

しばらく話しているうちに、ようやく頭の中でホァシャンと華山が結びついた。

そういえば、華山は二千メートル級の険しい山で中国五名山のひとつ、

と空港でもらったパンフレットに書いてあったっけ。

どのみちひとりでは行き方も分からないだろうから誰かと一緒に行けるなら万々歳だ!



夕飯にありつこうと荷解きして身軽になった体で回教街を歩いてまわる。

西安特有のイスラム料理屋台が両脇にずらっと並んでいて、

もくもくのぼる煙と食べ物の匂いと、そして大勢の観光客で道はごった返していた。

さんざん夜の回教街を楽しんでからユースホステルに戻ると、

すでに就寝支度を済ませたチンが翌朝は6時半起きだと言う。

オーケーと答えてアラームをセットしようとした時、ふいにGshockの電池が切れた。