二万二千西域記 ーその4

翌朝は青天井の下、昨日生き残ったリンゴを丸かじりした。

最上階である三階は吹き抜けを挟んで四つの部屋が対面していて、

部屋というよりは屋上に長屋がふたつ並んでいるような感じで、

吹き抜けの手すりにはバックパッカーたちの衣服がずらりとぶら下がっていた。

ユースホステルのパンフレットには「ランドリーサービス有」と明記してあったが、

よくよく見ると吹き抜けの奥では盥に水を張って服を手洗いしているおばさんがいる。

いつもは洗濯機なのか、大体は洗濯機で洗ってそれだけたまたま手洗いだったのか定かではないが、

「ランドリーサービス」という言葉とは程遠いこのサービスは、

変わりに洗濯をしてくれるだけユースホステルにしては上出来と言うべきか。

わたしは洗面台でぴゃっぴゃと洗って自分のベッド脇に吊るしていたので大差なかったと思う。

この長屋の宿泊者たちは明らかにバックパッカーではなかった。

中国人の、しかもどちらかというとここに住んでいるような雰囲気で、

おそらくはここの清掃や洗濯をしている従業員ではないだろうか。中には親子もいた。

朝食も済んで荷物もまとめたところで、チンとブリーにお別れを言いに二階の八人部屋をノックする。

チンが寂しがるのは分かっていたが、より別れを惜しんでいたのは意外にもブリーの方で、

めそめそするような声を出し一言「寂しい」と言った。

てっきりブリーはチンと二人の方が楽しいに違いないと思っていたのに、

思いのほかわたしといることをブリーは楽しんでいたということをこの時初めて知った。

もっとこの子と話をすればよかった。

いつか日本に来てね、待ってるから。

まだベッドの中でぐずっているブリーの頬を撫でて、二人に心から感謝を伝え宿を後にした。



もしかしたら、という希望をこめて銀行でクレジットカードでお金が引き出せないか試してみた。

前日にも何度かチャレンジしたが無理だったのでほとんど期待はしていなかったが、

銀行員立ち会いの元でやったら何か違うかもと思ったが、やはり駄目なものは駄目だった。

すでに残金百五〇元、残り三日間を一日約九〇〇円で生活しなくてはならない。

しかしこの危機的状況下にあって、西安滞在中で一番わくわくしたのがこの時。

旅は成り行き、風まかせ。

この瞬間、わたしは誰よりも自由だった。



この西安という街をじっくり見て回ろう、自分のこの脚で。

そう決めたら行くべきところはただひとつ、街を囲む城壁だ。

入場料は大人ひとり五四元で一日に使える限度額を超えていたが、これを見ずして何を見るというのだ。 

城壁は一周十三.七㌔あり、東京で例えると東京駅から阿佐ヶ谷駅と同じ距離。

難なく歩けるだろうと高を括っていたがこれが意外と難儀で、

これまで曇り続きだったのに今日に限ってピーカン、

歩けど歩けど一向に近づいてこない城壁の曲がり角を遠くに眺めるたび、

背負っている荷物が肩にめりめりと食い込んでくるといった具合であった。

それでも、城壁沿いに西安の街を眺めるのは非常に面白かった。

壁の外側は大きなビルディングが建ち並び、整備された大通りが続いているのに対し、

内側はいまにも崩れ落ちそうな家屋があったりゴミが惨然と散っている道路があったり。

城壁内も西側はわりと拓けているようだったが、東側は昔の風景を残しているところが多く、

エリアによって様々な西安の顔を見ることができた。

結局、城壁を一周するのに三時間以上かかりそれだけで半日は優に過ぎてしまった。



城壁を歩き終えてしまうと、残りの日々を閑古鳥の鳴く財布でどう過ごすか考えなくてはならなかった。

一日を六四〇円で過ごすのを決して無理だとは思わなかったが宿代も含むとなると話は別で、

仮に安いユースホステルを見つけたにしてもデポジットを言い渡されたら元も子もない。

是が非でもクレジットカードで支払いができるホテルに泊まる必要がある。

西安にはそれこそ星の数ほどホテルがあったが、どこがクレジット決済ができるかなど分からない。

しかしエアポートバスが停まるホテルなら絶対に大丈夫だと踏んで、

まだ歩いたことのないエリアにある陇海大酒店を目指した。

十三.七㌔歩いたあとのホテルまでの道のりは言うまでもなく、きつかった。

実を言うとここでもデポジット二〇〇元、しかもキャッシュオンリーを言い渡されたのだが、

観念して財布の中身を見せるとフロント係は苦笑いで仕方なしに五〇元札を引き抜いた。

そこからの日々は、旅行者というよりもほとんど西安の住人になったように過ごした。

公園へ行って雨に降られては近所の人たちと一緒になって小一時間雨宿りしたり、

市場へ行って前の人の見よう見まねで量り売りのおやつを買ってみたり。

列に並んでお寺の炊き出しにお世話になったこともあった。

一皿三元で山盛り食べられる総菜屋も見つけたし、品物の金額もだいぶ聞き取れるようになった。

わたしは自分のことを貧乏だと思ったことはないし実際に貧乏ではないのだが、

いつも所持しているお金の額が少ないので、お金に困る状況に陥ることがままある。

よくよく考えてみたら三泊四日の香港旅行でさえ三万円も持って行ったのに、

四泊五日の西安でなぜ二万二千円で足りると思ったのか今になってはよく分からない。

しかし、お金に困って遠くへ行けなくなった最後の三日間こそが一番西安を覗き見れたと思っている。

結局、わずかながら財布にお金を残したまま西安を発つことができた。

エアポートバスが大通りを猛スピードで駆けてゆき、

風にはためく城壁の深紅の旗は次第に小さくなっていった。



日本へ帰ってきて空港からのバスの中で思う。

いつか、つぎは電車で、またあの街を訪れたい。

都心へ近づけば近づくほど、それとは反対に心は新たな旅へと惹かれていった、

と言いたいところだが、

実際のところは翌々日から始まる新しい班での仕事が楽しみで仕方がなくて、

見知らぬ街を放浪しているときと同じくらい、仕事をしているときも楽しいのだ。

だから、やっぱりわたしの旅は各駅停車がいい。

そう感じた二万二千西域の旅なのであった。