キャンティの夜

数日前に、またひとつ歳を重ねた。

その日は仕事が遅くまであり、今日が誕生日だととくに誰にも告げることなく淡々と、

とはいえ自分の誕生日だということにうきうきしながら仕事をしていたのだが、

時計の針がまもなく0時を越えようという段になって、

やっぱり誰かに伝えたいという気になった。

手をたたいて祝福してもらうような歳でもないし、

まして何かプレゼントしてもらおうなんて思ってもいなかったが、

「ひとつ歳を重ねた」という幸せをここにいる人にも伝えたかった。

 

モニターの前では、所作指導の先生がソファーに腰かけて

まだスタジオの中で延々続いている収録の様子を眺めていた。

 

「先生、あの…」と言いかけた時、収録本番のベルが鳴って、

先生はこちらを振り向いていたが、なんとなく気が引けて私は口をつぐんだ。

収録本番が終わり、また次のカットの準備に入ったときに、

先生のほうから「なんですか?」と声をかけて下さった。

それで、「実は今日、おかげさまでひとつ歳が増えました」と話した。

先生はたいそう喜んでくださって、おめでとうと言ってくださった。

 

その日のスタジオ収録が終わったのは、0時半も過ぎたころ。

いつもの通り、先生のお帰りのタクシーチケットを準備して渡すと、

先生は徐に「じゃあ、これからキャンティで一杯どうですか」と言った。

この時間からお酒を飲むことに驚きはなかったが、先生は御年73なのだ。

朝からたった今まで仕事をして、この時間から食事に行こうという先生は

本当に見習おうと思っても見習えないほどお元気なのである。

 

結局、職場の同僚3人を加えた5人でキャンティへと向かった。

タクシーにぎゅうぎゅう詰めになって膝を抱えながら向かう車中はとても幸せだった。

芸能の仕事をしているわりに、この世界について明るくない私は、

もちろんキャンティなんて知らなかったのだが、

いつも食堂でご一緒している先生の口から出るキャンティの名前には

それはそれは華やかな雰囲気が漂っていた。

キャンティは、まるでロートレックの絵のようだった。

次から次へとワゴンで運ばれてくる前菜の数々は、

目にもおいしい素敵なものばかりで、それをまた静かに説明してくれる店員さんの姿も

ひとつの絵画のように完成されており、

先輩がキャンティがいかに憧れの社交場だったかを話せば話すほど、

場違いでちぐはぐな恰好をしているわたしたちが可笑しくなってくるのだった。

前菜、ピザ、スープ、パスタ3種、そしてデザートを食べ終えた頃には、

時計はすでに3時半をさしていた。

そんな時間になぜこれだけの量を平らげることができたのか不思議だし、

このお勘定がいったいいくらだったのか皆目見当もつかない。

すべては先生の「財布を出すな。そんなつもりで誘ったんじゃあない」

という江戸っ子口調の一言で打ち切られてしまった。

 

お金持ちになりたいと思ったことはあまりないけれど、

先生を見ているとお金持ちというのは格好いいと思う。

先生のお金の使い方は、見ていてとても気持ちがいい。

食事に行きましょうと誘って、そして有無を言わせず全部自分で払ってしまう。

おごってもらえて嬉しいという気持ちはあまり感じない。

それよりも圧倒的に、いつか自分もこんな気持ちのいい人になりたいと思う。

 

最初から最後まで、ひたすら仕事の話しかしなかった。

職場の人たちと飲みに行くと、ほとんど仕事を話しか出てこない。

そしてそれがまたとても心地いい。

愛とか、安っぽい言い方であんまり好きじゃないけれど、

仕事終わりの0時半から明け方まで祝杯をあげて仕事の話ばっかりするこの人たちは

やっぱり愛にあふれている。

歳を重ねることは素敵なことだし、それに付き合ってくれる人たちもとても素敵だ。

 

お祝いを伝えてくれた皆さま、どうもありがとう。

おかげさまで、今年も素敵な歳になりそうです。