眠るアジア -その1

 1年2ヶ月に及ぶ長尺の仕事が10月末に終わった。それと同時に、わたしは無職になった。フリーランスで仕事をするということは、次の仕事を受けなければ無職も同然だ。

 過去に一緒に仕事をした監督から、また一緒にやらないかと誘ってもらった。マネジメントしてくれている人を通さずに直接誘ってもらうのは初めてだったので、ものすごく嬉しかったし、その話自体とても魅力的だった。その監督とは絶対にまた仕事がしたいと思っていたし、またいつでもその組で仕事ができるように、トレーニングとして密かに続けていた事柄もあった。それほどまでに渇望していた監督からのお誘いを、断った。そうまでして考えなくてはならないことがあった。そして、11月2日、私は日本を出国した。

 

 元々、この仕事が終わったらブルネイで働いている妹に会いに行く予定だったので、ブルネイ行きの航空券は早い段階から買っていたのだが、ブルネイの前にトランジットで香港に1泊すること以外、何も決めていなかった。どうせ時間もあるのだからと、他のアジアの国々もまわってみることにしたものの、わたしはあまり海外に詳しくないので、学生時代から研究対象の地域としてしょっちゅう東南アジアに行っていた妹に相談してから決めた方がいいだろうと思い、帰りの航空券も買わずに飛び立った。しかし、そのせいで成田空港では「ブルネイに入国できないかもしれない」と言われ、ブルネイに入国できなくても自己責任で当社は預かり知らぬことを承知します、という誓約書にサインする羽目になってしまった。本当に入国できなかったらどうするんだろうと、若干不安になっているわたしを、重慶大廈の安宿で同室になったフランス人のサムは親身になって話を聞いてくれたばかりか、もしもの時に相談すべき窓口の連絡先をいくつも調べてメモしてくれた。さんざん調べたものの、まずは大使館に勤める妹に相談すればよいのではということに落ち着き、聞いたところ大丈夫だと思うと言われ、実際にブルネイに着いた時もあっけないほど簡単に入国できてしまったのだった。

 

 これから先、サムを始めとして行く先々で、わたしはたくさんの人に助けてもらうことになる。1年2ヶ月ぶりのMidnight Local、各駅停車の旅が始まった。

 

 ブルネイでの数日間は、愉快そのものだった。泊まっているのは広々とした妹の家だし、移動は全部妹が車を運転してくれるし、何から何まで妹頼みだった。友だちも同じタイミングで来ていたので、3人で観光名所をまわったり、だらだらテレビを見たり、妹の職場の人も交えて奥地へジャングルクルーズに行ったりもした。最後の一日、友だちも一日前に帰国してしまい、妹も出勤したあと、ひとりで街をまわった時も楽しくないことはなかったが、翌日からのことがひどく憂鬱になった。明日から言葉にも不自由するほとんど知らない国々を、たったひとりで旅するのだ。行きたくないと思った。このままブルネイにいて、ごはんをつくって妹の帰りを待って、楽しく過ごしていたいと思った。それなのに、何故、わたしは旅に出るのだろう。誰に頼まれたわけでもないのに。理由は、本当にわたしにも分からなかった。うんざりする気持ちを抱えたまま、発着ゲートで妹に手を振り、次なる目的地、マレーシアはクアラ・ルンプルへと飛んだ。