眠るアジア -その7

 プーシーの丘は、ルアンパバーンでのお気に入りの場所だった。10分ほどでたどり着く山頂からは町が眺望できる。日中は入山料が取られるが、夕方5時過ぎから朝7時までの間は係員がいなくなるので、特に日没後の時間帯は地元の子供たちのたまり場となっていた。昼も夜も、わたしはよくここへ登った。昼はオレンジ色の屋根が連なる街並みを見に、夜は沈む直前の夕日が反射するメコン川を見に行った。

 ルアンパバーンは、いま人気沸騰中の町らしく、日本人観光客もずいぶん多かった。町自体がユネスコ文化遺産に登録されている古都で、お寺の数も多く、歩いて回れる規模なので、観光地のわりにはのんびりした雰囲気が町全体に流れていた。

 朝の5時から托鉢僧へのお布施が始まり、7時頃には小路に市が立ち始める。朝市はもっぱら食品が中心で、メコン川で獲れた魚から野菜、果物、ゲテモノと呼ばれる種類の食材までが並んで賑わうが、昼前には全部片付いてしまう。そして、夕方5時過ぎになると、今度は大通りで工芸品や土産物を中心とした市が立ち、観光客向けの屋台が数多く並ぶ。

 初日の宿は、町全体の様子を知るためにこの大通り沿いにしたが、少々値が張りもう一泊するとお金が足りなくなるので、翌日は宿を変えることにした。決めた宿は町の中心地から30分ほど歩く必要があったが、川沿いで雰囲気もいいし、何しろ安かった。受付でチェックインを済ませ、荷物を預けると、向こうから片手を上げて声をかけてくる人がいる。

 エルザだ。その隣でマユークも顔を上げた。

 やあ、と返事したものの気まずかった。じゃあねと言って別れたものの、小さな町だから会ってしまうかもしれないとは思っていたが、まさか移ってきた宿で会ってしまうとは。喧嘩別れではないが、わだかまりを感じているのは事実で、わたしは忙しいそぶりをして自転車を借りると急いで宿を出た。

 

 いまのはさすがに感じ悪かったかな、ここの宿だったんだね驚いたよ、くらい言うべきだっただろうかと、反省と自己嫌悪が始まった。ひとりでこういうことを考え出すと、だいたいポジティブな結論には至らないので嫌なのだが、それはいまに始まったことではないので自然と気持ちが逸れていくのを待つほかない。

 2人とは夜市でまた遭遇した。長袖のシャツの値段交渉に躍起になっていたら、いつの間にかエルザが後ろに来ていて何を買ったのか聞かれた。店のおばさんに半分悪態をつかれながらも、いい買い物をしたと満足気に言うわたしに、エルザは大仰に頷いた。

 この頃から、不思議とわだかまりはなくなっていった。というより、2人のことをあまり意識しなくなった。3人が3人とも、自分の見たいものを見ていたし、誰にも合わせるでもなくみんなが楽にふるまっていた。最初、マユークといた時もそうだったはずなのに、わたしが2人と比べて劣等感を感じ始めてから上手くいかなくなった。

 エルザは常に話しかけてくれていた。マユークの態度が変わったこともなかった。すべては、わたしひとりの意識の問題だった。

 

 翌朝、ロビーで一人朝食をとっていると、マユークが来て当たり前のように向かいの席に座った。2人で話していると、エルザも来てわたしの隣に座った。

「今日はどこに行くの?」

「滝を見に行こうかと思ってる」

「あ、昨日見に行った」

「何で行った?」

「ミニバン。ここのが安いよ」

「ホントだ。後で場所教えて」

「あとサウナも良かった」

「サウナ好きなの?」

「別にそういうわけじゃないけど、行ってみたら良かった」

「へえ」

 誰に主導権があるわけでもないつぶやきのような会話が心地良く続く。朝食が済んでも、3人はしばらくそこにぼんやりとしていた。

 

「じゃあ、わたしそろそろ行くね」

「OK、じゃあね」

 今度のじゃあね、は前のじゃあね、とまったく違う。またどこかの街角でひょっこり出くわすかもしれない。そうなったら嬉しいと思える軽やかな別れだった。

 帰国してから、一度マユークと連絡を取った。まだラオスにいて、エルザとはまた別々の旅路を行っているらしい。メッセージには会えて良かったと書かれていた。宿で再開しなかったら、この言葉もおべっかと捉えていただろう。

 自分の中に眠っていた卑屈さと久しぶりに会った。わたしの方こそ、会えて良かった。