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眠るアジア -その8

 ルアンパバーンからラオスの首都ビエンチャンまでバスでのろのろ行ってみるつもりだった。しかし、ここまで2週間の間に、滞在することの大切さを感じ始めていた。

 町に到着してからその町に慣れてくるまで少なくとも3日はかかる。それは交通手段を使いこなすことであったり、人々の暮らしをのぞいてみることだ。わたしが写真に撮りたいのは、建物や食べ物よりも、そこで暮らす人々の生活そのもので、それを撮ってもいいと思える距離まで近づくには時間がかかる。だとしたら、ラオスは十分自分の中で得るものがあったから、次にコマを進めて新しい町に少しでも長く滞在しよう。

 ルアンパバーン国際空港を飛び立ち、ホーチミンに着いたのは19日の夜だった。

 

 この時、飛行機の中で話しかけられるという初めての経験をした。隣に座っていたアメリカ人のサムは、WEBの仕事をしながらアジアを転々としているが、いまはホーチミンに住んでいて、明日から友人の事業を手伝いにベトナムの奥地へ行くのだそうだ。僕は今夜しかホーチミンにいないから是非とも一緒に晩御飯へ行こうと言われ、一瞬ペナンの記憶が脳裏をかすめたが、嫌になったら眠いと言って宿に帰ってしまえと快諾した。

 それぞれの宿に荷物を下し、お店選びはサムに任せたらハードロックカフェへ行くことになった。世界のどこにでもあるハードロックカフェホーチミンで行く必要ないじゃないかと思ったが、自分ひとりだったらまず確実に行かないので、それも面白いかと考え直した。中では、ずんずんと大音量で音楽が鳴り響き、お立ち台では過激な格好をしたシンガーがマイクを振り回し踊り狂っている。店内は時間が経つごとにヒートアップしていき、とうとう客もステージに乗って歌い出した。普段はどんな音楽を聴くのか尋ねると、意外にも久石譲しか聞かないという。試しにわたしの好きなアメリカンロックバンドの名を挙げてみたが、サムは本当に知らないようだった。サムはここの常連らしいが、久石譲しか聞かない人にもホーチミンハードロックカフェはグッとくるのか。

 その後もぐるぐると町の中を回遊し、歩いて見れる観光地をたくさん教えてもらった。その間、聴いてくることは風変わりな質問が多かった。サムを犬か猫で例えるならどちらだと思うかと、その理由についてや、これまでの人生で自分が最も輝いていた瞬間を3つ挙げるとしたら何かなど、どれもわたしの英会話能力をはるかに越えていて、その度に音を上げたが、それでもサムは大丈夫言えるはずだと、なかなか許してくれなかった。サムの不思議な質問は、夜中の3時まで続き、タクシーで自分の宿まで戻りながら、変な人に会ったものだと大あくびした。

 結局、次の日も出発までの1時間程、話し相手として呼び出されてしまったのだが。

 

 ホーチミンに行くのなら、ベトナム戦争の博物館は見た方がいいと妹に言われていたので、翌日はベトナム戦争証跡博物館に行ってみることにした。

 衝撃を受けたのは、2階の写真だった。2階には、日本人の報道カメラマンが撮った写真が何百枚にもわたって掲示されていて、立場は中立のため、アメリカ率いる南ベトナム軍の写真も、解放軍率いる北ベトナム軍の写真も同じくらいあった。それまで、さくさくとハイペースで見ていたわたしも、キャプションが日本語で書いてあるので、ついペースが落ちて一枚一枚見てしまった。

 写真の持つ圧倒的なリアリティもさることながら、キャプションの淡々とした説明が辛かった。

 写真は、兵士たちの最前線よりも、それが通り過ぎて行った後の人々の暮らしに密着したものが多かった。つい1秒前まで田んぼで農作業をしていた人が銃で脅され、目の前で親を撃ち殺された女の子が泣き崩れる。

 気が付くと、手のひらが爪の痕で真っ白になっていた。ずっと歯を食いしばっていたのか、奥歯までずきずきする。正直言って、その後の展示の内容は覚えていない。

 わたしと同じ日本人が、アメリカ人とベトナム人が同じように死んでいく様子をファインダー越しに何千回とその目に焼き付けた。戦後も、何度となくベトナムを訪れ、その後のベトナムの暮らしを撮った。わたしと同じ日本人が。

 

 うまく言葉では言い表せなかった。だから戦争はいけないとか、平和万歳とか、すんなり言葉で言い切れる程、分かりやすい気持ちではなかった。ただ、いまでも覚えているのは、博物館を出た時に、青空の下にカフェテリアが見えてほっとしたことと、戦後のメコンデルタで道路いっぱいに広がった黄色い米の写真だ。なぜかその一枚がその時も、いまも、心に残っていて、わたしは次の日、メコンデルタ日帰りツアーに参加することにしたのだ。

 ツアー中、米が道路いっぱいに広がる風景は見られなかったが、メコン川に浮かぶ島で、そこに住む子供たちと仲良くなった。一本道で出会った彼らは、わたしのカメラとスマートフォンで写真を取り合って始終楽しそうだった。しばらくつかまっていたので、集合時間までに戻ることを考えると、帰り道までつかまるわけにはいかないと思っていたが、果たして彼らは一本道でわたしを待っていた。両手に花束を抱えて。

 帰りもつかまってしまうと考えた自分が、ひどく恥ずかしかった。自分で撮った写真はすべて選定する私も、4人の子供たちがかわるがわる撮った42枚の写真だけは、旅から帰ったいまも一枚も捨てられずにいる。