霧の中の街 ーその2

朝7時起床。外は相変わらずの霧雨だった。

この日は、8時から始まるという太極拳の体験に行くことだけ決めていた。

シャワーを手早く浴びて、さっさと出かける。

太極拳も1時間くらいで終わるだろうから、それから換金して朝食を食べて宿代を払いに戻ればいい。

重慶招待所を出ると、街はすでに活気づいていた。



ネイザンロード(彌敦道)を下って海沿いまで出ると、プロムナードでの太極拳は早くも始まっていた。

ジェスチャーで混ざりたいと伝えると、最近、無料だったのが50HK$になったのだと言う。

香港ドルを持っていないので、終わったあとに換金して払うのでもいいかと尋ねると、

それでいいと、快く仲間に入れてくれた。

太極拳を体験していたのは、常連と思われる近所の人、香港在住らしき欧米人、

そして春休みの旅行で来ているのか、日本人の大学生の男の子5人くらいを合わせ、十数人いた。

見よう見まねで先生の後追いをするのだが、腰を落として動くので太ももが疲れる。

小一時間もやったところで、終わりかな?と思っていると、次はカンフーに移ると言う。

太極拳も2パターンくらいやったのに、カンフーも2パターンほどやったあとで、集合がかかる。

さて集金だろうと、おのおの財布を取り出そうとすると、まだだと言って、先生は扇を配り始めた。

扇の開き方、手首の返し方を一通り教えてもらうと、今度は扇を使った太極拳に移る。

すべてのメニューが終わって時計を見ると、3時間近くも太極拳をやっていたことに気付く。

どうりで、足も痛くなるわけだ。

3時間もいろんなパターンの太極拳をやって750円なのだから、だいぶ得した気分である。

しかし、思ったよりも長時間だったので、急いで換金しに走り支払いを済ませると、

朝食は後回しにして、宿に戻ることにした。



この日は主に、尖沙咀から旺角までを巡ることにして、めぼしいところを順繰りに回った。

病院内にある美術館や、漢方の診療所内にある展示など、一風変わった展示施設を周り、

商店の中にある豆腐屋で間食を取るなど、街歩きを楽しんだ。

香港の通りには、すべて英名がついている。

ネイザンロード、サルベリーロード、プリンスロード…

どんな小さな通りも中国名と英名がついているので、地図で自分がどこにいるのかがとても探しやすい。

そして、どの通りにも必ずと言っていいほど、換金ショップがあるのだ。

30メートルも歩くと、すぐにつぎの換金ショップにぶつかる。

換金ショップの他に、ビルの壁に自動換金機やATMが埋まっていたりして、とにかく換金に不自由は無い。



夜は、廟街の屋台で夕食にしよう。それなら宿は近い方がいい。

とりあえず、手頃な金額で泊まれる場所を探そう。

廟街の近くには、これまた多くのゲストハウスがあったので、

目に入ったゲストハウスへ、とにかく入ってみることにした。

わたしは、こういう時の勘だけは、やたらといい。

2軒目で目に入ったのが、幸福民宿(ラッキーハウス)だった。

看板に「ラッキーハウス」と書かれていたので、日本語も通じるだろうと入ってみた。

対馬さんという日本人のおじいちゃんが経営するラッキーハウスは、全室ドミトリー。

部屋というよりは、空間を間仕切りで仕切っただけで、簡易な2段ベッド。トイレ・シャワーは共同。

1泊120HK$という安さだが、今日は空きがないと言う。

チェックアウトの時間になったらベッドがひとつ空くかもしれないというので、

リュックを預けて外をぶらぶらすることにして、

戻ってきた時に、もしベッドが空いたら入れてほしいと頼んで、廟街を見に行った。

廟街をぶらつき、天后廟も見て、それでもまだ時間があるので、香港島に渡ろうと地下鉄に乗る。

歴史的建造物も、話題の飲食店も見て回ったけれど、一番面白いのはどこでも市場である。

上野のアメ横センタービルさながら、スッポンや鶏の脚が売っている。

魚は生きたまま鉈包丁でまっぷたつ、血が滴るのをそのままに、並べてある。

グロテスクという言葉も超えて、活力を感じた。

新鮮という言葉を当てはめるのも、チープに思えるほどだ。

一番驚いたのは、生きた鶏をそのままケースで売っていたことだった。



朝から歩き回ったので、さすがに疲れてきた。

携帯の万歩計表示を見ると、優に30000歩を超えている。

雨脚もやや強まり夕方6時を過ぎたので、ラッキーハウスに戻ることにした。

戻ると、結局ベッドは空かなかったらしい。

しかし、ここでいいなら寝てもいいとおじいちゃんが指差す場所は、入口近くの間仕切りもない2段ベッド。

下はおじさんが入るし、部屋でもないから上の段でよければ60HK$でいいと言う。

900円で寝れるなら何も文句は無いと、今夜はここで荷解きをすることに決めた。

お金を払っていると、奥からひとりの青年が出てきた。

日焼けした肌、ひとつにくくった髪、ひげ面。あきらかにバックパッカー的風貌だ。

ぺたぺたとサンダルで近づいてきた彼は、おじいちゃんに日本語で話しかける。

日本人だったのかと、ようやくそこで気付く。

どちらからともなく話しかけ、外をぶらつくと言うので一緒に廟街へ行くことにした。

去年の春にオーストラリアへワーホリで渡ったと言う彼は、

そこからインドネシア、フィリピン、カンボジアベトナム…とアジア各地を渡り歩いてきた

まさに現代版小田実のような青年だった。