眠るアジア -その10

ここまで、香港、ブルネイ、マレーシア、タイ、ラオス、ベトナムと回ってもちろん楽しかったのだが、いろんなことを考えて少し疲れてしまったので、最後は思い切りリラクゼーションに徹しようと決めた。台湾はいまや日本人が週末に訪れる人気観光地であるし…

眠るアジア -その9

ホーチミンも3日目になると、バスも使いこなせるようになり、屋台飯の注文にも慣れてきた。ホーチミンはよく雨が降った。だいたい夕方になると、突然スコールのような大雨が降り、途中降ったりやんだりしながら、2時間程降り続く。町の人たちは慣れたもの…

眠るアジア -その8

ルアンパバーンからラオスの首都ビエンチャンまでバスでのろのろ行ってみるつもりだった。しかし、ここまで2週間の間に、滞在することの大切さを感じ始めていた。 町に到着してからその町に慣れてくるまで少なくとも3日はかかる。それは交通手段を使いこな…

眠るアジア -その7

プーシーの丘は、ルアンパバーンでのお気に入りの場所だった。10分ほどでたどり着く山頂からは町が眺望できる。日中は入山料が取られるが、夕方5時過ぎから朝7時までの間は係員がいなくなるので、特に日没後の時間帯は地元の子供たちのたまり場となって…

眠るアジア -その6

一見動いていないようにも見えるこの濁った茶色い川は、チベット高原に源流を発し、6つもの国を通って海へと流れる。“偉大な川”の意味を持つ東南アジア最長の川、メコン川だ。 メコン川を挟んでタイと隣接するラオスの街・ファイサーイは、ゲストハウスと食…

眠るアジア -その5

チネ以外の家族は、英語が話せなかった。チネの話では、お父さんが少し話せるかもということだったが、実際には話せなかった。お父さんは、ずっと韓国へ出稼ぎに行っていて、6年前、タイへ帰ってきている。わたしとお父さんは今回が初対面だ。いまは、チネ…

眠るアジア -その4

わたしは寝台列車が好きだ。 これまでの寝台列車の記憶には、いずれもちょっとしたピンチがついて回るのだが、そのために印象的な乗り物として心に残っている。今回も何とか無事バンコクまでは辿り着けそうだ。途中の駅からは、同じくバンコクでテニスの大会…

眠るアジア -その3

今回の旅は、移動がテーマだった。これまでも、ひとりで海外を旅することはあったが、基本的にひとつの町にしか滞在していなかったので、町から町へ、国から国へと移動するのは初めてのことだ。それゆえに、タイ国境を目指す電車の中ではすでにクライマック…

眠るアジア -その2

当初はシンガポールへ行くつもりだったが、クアラ・ルンプル行きの方が安かったことと、どのみちシンガポール行きのチケットはクアラ・ルンプルで乗り換えが必要だったこともあって、始めからクアラ・ルンプルに行ってしまうことにした。 マレーシアに来た目…

眠るアジア -その1

1年2ヶ月に及ぶ長尺の仕事が10月末に終わった。それと同時に、わたしは無職になった。フリーランスで仕事をするということは、次の仕事を受けなければ無職も同然だ。 過去に一緒に仕事をした監督から、また一緒にやらないかと誘ってもらった。マネジメン…

夏休み子ども科学電話相談

『ドミトリーともきんす』を読み終えた翌朝、 ラジオから夏休み子ども科学電話相談が流れてきた。 今朝いちばん興味を惹かれたのは、 魚の年齢を知るには鱗を紅しょうがの汁に浸すとよいというもの。 自然科学に心躍る季節がやってきた。 毎年、この放送を楽…

キャンティの夜

数日前に、またひとつ歳を重ねた。 その日は仕事が遅くまであり、今日が誕生日だととくに誰にも告げることなく淡々と、 とはいえ自分の誕生日だということにうきうきしながら仕事をしていたのだが、 時計の針がまもなく0時を越えようという段になって、 やっ…

情けない話

年に数回風邪をひくのだけれども、病気の器が相当小さいのか、 風邪以上に大きな病気はほとんどしたことがない。 おととしに胃腸炎になったほかは、記憶が正しければインフルエンザもない。 そうしてまた優等生らしく、きっちり週末に罹って週末で回復するの…

二万二千西域記 ーその4

翌朝は青天井の下、昨日生き残ったリンゴを丸かじりした。最上階である三階は吹き抜けを挟んで四つの部屋が対面していて、部屋というよりは屋上に長屋がふたつ並んでいるような感じで、吹き抜けの手すりにはバックパッカーたちの衣服がずらりとぶら下がって…

二万二千西域記 ーその3

翌朝、なにはともあれと銀行へすっ飛んでいったが、銀行はまだ開いていなかった。ロビーには入れたので座っていると最初にやってきた銀行員のおばさんに怪訝な顔をされ、換金しにきたのだ、何時に開くのかと尋ねると九時だという。携帯画面をみるとちょうど…

二万二千西域記 ーその2

真上のベッドの客がかなり遅い時間に出入りしていたことと、かなり豪快ないびきをかいていたこともあって完全に寝不足のまま西安の二日目は始まった。駅までバスに乗ったことで、ようやくバスが一律一元であることが分かった。これでこの先は不安なくバスに…

二万二千西域記 ーその1

目を覚ますと、眼下はあたり一面まっ白い雲の海だった。白い海に潜るたび、大きな機体が上下左右に大きく揺れる。見たこともないほど大きな入道雲がそびえていて、潜っても潜っても、雲の海は下へ下へと続いていた。そして何層目かの白い海を潜り終えたとき…

休日の過ごし方

近年、自分のからだについて思うところがいくつかあり、その原因がほとんど歯並びにあることが判明したので、自分でお金も払えるようになったことだし、そういうお金の使い方も悪くないと思い、近所の矯正歯科に通い始めた。思いのほか大掛かりな治療になる…

四丁目の部屋

この部屋に住み始めてから、丸三年が経った。月並みではあるが、その間色んな変化があった。人生で初めてホームシックになったり、自分の中の常識では計れない人に出会ったり、転職もしたし、両隣の住人が変わりもした。たったの三年だけれど、それでも確か…

帰り来ぬ本

最近、ひさしぶりにあの本でも読もうかなと本棚を探して、人に貸していたことに気付く、ということがよくある。貸したのは、もう何年も前だったりするのだが、案外だれに貸したかちゃんと覚えている。それは、その本の持つイメージと貸した人のイメージに重…

霧の中の街 ーその4

フェリーのチケット売り場に並んでいると、ひとりの老婆が20HK$札を2枚持って何やら話しかけてきた。分からないとジェスチャーで伝えると、今度は英語で話しかけてくる。香港に帰りたいけど、お金がこれしかない。チケットを代わりに買ってくれないか?わ…

霧の中の街 ーその3

現代版小田実なる青年曰く、渡り歩いて一番素晴らしかったのはベトナムらしい。その次に良かったのが、フィリピンで、とにかく物価が安いのだとか。たしかに、彼の歩いてきた国々に比べると、香港は決して安上がりな国ではない。物価で言えば、日本とほぼ同…

霧の中の街 ーその2

朝7時起床。外は相変わらずの霧雨だった。この日は、8時から始まるという太極拳の体験に行くことだけ決めていた。シャワーを手早く浴びて、さっさと出かける。太極拳も1時間くらいで終わるだろうから、それから換金して朝食を食べて宿代を払いに戻ればい…

霧の中の街 ーその1

リュックサックにTシャツ3枚、ズボン1枚、下着と靴下を入れて、成田を出国したのが3日の夜。霧雨の降る海沿いの街に着いたのは、4日になったばかりの深夜だった。財布の中には、日本円で3万円。4日間の滞在には充分な額だ。 空港内のコンビニで「オクト…

雪の庭

今朝、あれだけ舞っていた雪はどこへ行ってしまったのだろう。縦横無尽に飛び交って、黒いアスファルトをあっという間に白く染めた雪は、昼過ぎには冷たい雨と共に消えてしまった。夜には雨も止み帰宅の途につきながら、あっという間の雪だった、と思う。明…

再出発

今日、ひとつの仕事が終わった。 去年の10月1日、ドキドキしながら憧れの場所に足を踏み入れたことを思い出す。 それから一年が経ち、週明けには新しい班での仕事が始まる。 そんな節目の時を迎え、再出発を前にして、初心を思い出してみる。これは一年半前…

来るべき時

来るべき時というものを最近強く感じている。東京に越してきてから2年が過ぎた。引っ越してきた当時、「行きつけの店」を持ってみたいと思っていたが、なかなか薄暗いバーに1人で入る勇気もなく、また自分で飲みに出かけてゆくお金もなかった。そうして1…

本物にするために

自分にとって向いていることって何だろう。 本当は何がしたいのだろう。 今の仕事もあとひと月となって、周りは次の仕事の話をし始めた。わたしはまだ何も決まっていない。自分から営業をかける人脈はなく、直接声をかけてもらえるほどのキャリアもない。ま…

深夜タクシーの窓から

タクシーがゆっくり旋回し、 オレンジの光をなぞりながら料金所へと向かう。窓に映っては後ろへと流れてゆく光を見ながら、 吸い込まれるようにシートに沈んでゆく。この光景が、いつもの光景になっているこの頃。 それほど自覚はなかったのだけれど体は実に…

突風の吹き抜けたあと

もうすっかり季節は春になったけれどそのもう少し前の、早春といわれる季節がいちばん好きである。 朝と晩がまだ少し肌寒く、あたたかい日差しの中にも突風が吹き荒れるような、あの季節が一番好きだ。 冬の間、息をひそめていたものたちが目を開け新しい季…